プロフィール

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長坂剛夫

アートセラピスト・公認心理師

長坂剛夫

米国UW-S在学中に回想法と出会う
SAIC大学院でアートセラピー修士号(MAAT)を取得
修士論文 “Life Review Art Therapy: An Effectiveness Study With Older Adults in Residential Care”
(『ライフレビュー・アートセラピー――高齢者施設に入所する高齢者を対象とした有効性の研究――』)

取得資格・略歴・所属学会・団体

取得資格

  • 米国登録アートセラピスト(ATR)
  • 公認心理師
  • 米国イリノイ州プロフェッショナル・カウンセラー免許取得(現在失効)

所属学会・団体

  • 米国アートセラピー協会(AATA)(会員)
  • 日本芸術療法学会(会員)
  • 日本認知症ケア学会(会員)
  • 一般社団法人岡山県公認心理師・臨床心理士協会(会員)

略歴

米国ウィスコンシン大学スペリオル校(University of Wisconsin-Superior/UW-S)で美術学士号(BFA)を取得後、米国シカゴ美術館附属美術大学大学院(School of the Art Institute of Chicago/SAIC)にてアートセラピー修士号(MAAT)を取得しました。アメリカ留学中に回想法と出会い、シカゴの高齢者施設に就職。そこでアートセラピープログラムの立ち上げに携わりました。

アメリカ在住中は、イリノイ・アートセラピー協会(IATA)の広報委員長および季刊誌編集長を務めるとともに、国際回想法・ライフレビュー協会(現・国際ライフストーリー・イノベーション&実践センター)の理事・書記を務めるなど、アートセラピーと回想法・ライフレビューの分野で活動してきました。

また、アメリカ在住中から現在に至るまで、アメリカ、シンガポール、日本において、アートセラピーや回想法などをテーマに、学会発表、講演、レクチャー、ワークショップを行ってきました。

帰国後は、不登校児童生徒の教育相談、アートセラピー、回想法などを中心に、創造的な表現活動を通して、心の健康と、その人らしい豊かな人生を支援する活動に取り組んできました。

現在は、ハートフルセラピースタジオ織音を拠点に、アートセラピーや回想法・ライフレビューなどを通して、一人ひとりの人生の旅に寄り添い、ともに歩む活動を続けています。また、一般社団法人日本クリエイティブ・アーツ・セラピー・センターの理事としても活動しています。

詳しいプロフィール

これまでの歩み

1972年、埼玉県川口市生まれ。現在、岡山市在住。
埼玉県上尾市立大谷小学校卒。
埼玉県上尾市立南中学校卒。

埼玉県立大宮南高等学校卒。
美大受験を志し、美大予備校に通っていた高校3年生の3学期に自然気胸を患い、やる気の糸がプツンと切れ、以降2年間、今でいうニート生活に突入しました。

気胸手術を経て、姉といっしょに1週間のアメリカ旅行をしたことでやる気が復活。その後の2年間はファミリーマートの店員と寿司屋の出前のアルバイトをかけもちして学費を貯金。それぞれの店長一家に応援してもらい、最後は見送ってもらって、1995年の2月に渡米し、語学学校で英語を勉強しなおしました。

1996年1月にウィスコンシン大学スペリオル校(UW-S)に入学し、NFLの同州グリーンベイ・パッカーズがスーパーボウルを制したことで、アメフト愛に目覚めました。1回生の夏休みを利用して一時帰国し、古巣のファミリーマートと土建屋で二重アルバイト生活をしました。2回生の年に貯金が尽き、泣く泣く休学し日本に帰国。派遣会社を通して交通整理や富士通のパソコン部品製造、スバルのプレオの組み立て生産ラインの仕事を渡り歩きながら留学資金を貯め1年半後に復学しました。そこからはキャンパス内のアルバイトや奨学金、兄弟親戚などからの援助のおかげで休学することなくUW-Sを無事卒業。

幼少期

今でもたまに思い出すのが、「三角形まで行ってくる!」と母親に言い残し、就学前に三輪車をこいで一本道を一人で走り抜けていった時の景色。林を抜けると急に開けて、あたり一面畑の中に道路が三角形を描くように交差している場所に出ます。その時の冒険しているワクワク感と開放感、そして空をあかね色に染める大きな夕日が鮮明に思い浮かびます。

とはいえ、普段は新聞の折込みチラシの裏が印刷されていない紙を探しては、絵を描いていた子どもでした。

長坂剛夫の絵_夕日の中の三輪車をこぐ幼児
『三角形まで行ってくる!』|長坂剛夫|2026年|水彩・クレパス on 水彩用紙|25 × 17.2 cm

学童期

小学校から帰ってくると、宿題をした記憶もほとんどないくらい、すぐに家で絵を描いていたのを思い出します。愛読書は父親が持っていたボクシング漫画の『あしたのジョー』全20巻と野球漫画の『ドカベン』全48巻。ウルトラマン、仮面ライダー、ゴジラをこよなく愛していた僕は、当時、矢吹丈(『あしたのジョー』の主人公)をはじめ、これらの絵ばかりを描いていました。

小学校高学年になる頃には、お友だちと外で遊ぶことはほとんどなかったと思います。当時毎年秋恒例の校外写生大会では小学校1年生から中学校3年生まで金賞をもらっていました。

ガリガリに痩せていて背の低かった僕は中学校の部活の仮入部で硬式テニス部のコートに向かう途中、バスケ部の先輩に呼び止められ、「バスケ部に入ったら背が高くなるよ」という甘い言葉に乗せられてバスケ部に入部。体力のなかった僕は休みがちで、背も伸びないまま3年生で引退しました。とはいえ、細々と続けていたことで運動神経は良くなったと思います(笑)。

高校では運動部に凝りて、大好きな絵が描ける美術部に入部。男子は1人だけで肩身が狭かったのを覚えています。

絵とは真逆の趣味はバイクを中心としたモーターレース。とはいえ、家にはポケバイを始めるお金もなく、暴走族が横行していた当時は「三ない運動」とやらで、全国のPTAが高校生に「免許を取らせない・バイクに乗せない・バイクを買わせない」というモットーを掲げていた全盛期。なので、毎日自転車登校をする中で絶賛暴走中(笑)。いや、暴走しているつもりはなく、自分の中では「走り屋」でした(違いがわからない人がほとんどかな?)。もっぱらWGP(ワールドグランプリ、現在のモトGP)やF-1の雑誌やテレビ放送に釘付けの日々でした。そういえばレースバイクの絵もさんざん描いていたなぁ。

もともと少食、極度の偏食で体力もなかった僕は、高校3年生になり自宅→高校→美大予備校→帰宅の日々(でも一旦自転車に乗ると常に全速力の走り屋。笑)で消耗したのか、受験直前に自然気胸を発病し、冒頭のニート生活に突入しました。(当然、その2年間の愛読書はバイク漫画の『バリバリ伝説』(全38巻)と『あいつとララバイ』(全39巻)。笑)

長坂剛夫の絵_シュワンツ・ウィニングガッツポーズ_鈴鹿1989
『ケビン・シュワンツ 鈴鹿ウィニングラン 1989年』|長坂剛夫|1991年頃|雑誌投稿のための習作|筆ペン・水性マーカー on ノート用紙|21× 12 cm
長坂剛夫の絵_V.ロッシ2004のコーナリング(1)
『バレンティーノ・ロッシ 2004年』|長坂剛夫|2004年頃|習作|水彩色鉛筆 on 水彩用紙|14 × 12.8 cm

アメリカの大学での出会い

母親に「ちょっとアメリカに行ってくる」と言い残し、リュックサック1つとスーツケース1つで旅立った僕が、回想法に出会ったのは、2000年代初め、アメリカの大学に留学していた頃です。

アメリカの大学の心理学部の実験室で、教授の心理実験のアシスタントをしていた時のことです。日本人の学生が働いていると聞いた同じ大学内の組織、IIRLR国際回想法・ライフレヴュー協会(現在のICLIPライフストーリーイノベーション&プラクティス国際センター)の創設者、John Kunz氏が僕に声をかけてくれました。

「野村豊子先生を知ってるかい? 彼女が回想法についてのビデオを4巻出版して、記念にくれたんだが、こんなに丁寧に説明しているビデオはアメリカでは出回ってないんだ。これを英語に翻訳する仕事をしてくれないか? バイト代ははずむよ」と。

二つ返事で引き受け、翻訳作業に取りかかりました。たしかにアルバイト代は良かったんですが……。

ところが、ある時Johnは、回想法を実践している施設のスタッフ研修のために、「翻訳した英語を音声テープに吹き込んで、ビデオと一緒に流したい」と言うんです。

僕はもう、「ええっ!! (◎_◎;)」ですよ。そこで、当時のつたない英語で、ナレーションからインタビューまで、男性、女性、中年、高齢者によって自分なりに声色を変えて吹き込みました。

できあがったら、できあがったで、スタッフ研修で上映するから施設まで来て、機材のセットアップなどを手伝いに来いと。

いや〜、恥ずかしかったですね。あの後、何年、何回くらいスタッフトレーニングで使われたのか、怖くて聞けなかったですね。笑

でも、これがきっかけで高齢者と働くことや回想法に興味を持つようになり、大学院でアートセラピーの修士号を取得する頃には、当時としてはまだ珍しかった、高齢者を専門とするアートセラピーの分野に進むことになりました。

修士論文完成と野村豊子先生との出会い

そして、回想法とアートセラピーを組み合わせたライフレヴューアートセラピーについて修士論文にまとめた実験結果をフロリダのオーランドーで開かれた学会で発表したときに、野村豊子先生と初めてお会いしました。

もう僕にとっては、あのビデオを作られた方で、TVの画面の中でしか知らなかった先生でしたから、言うなればアイドルみたいな存在。とても光栄でした。それ以降、野村先生には可愛がっていただき、回想法に関する書籍への寄稿や、海外の回想法関連書籍の翻訳など、さまざまな機会をいただいてきました。

アメリカと日本での就業経験

大学院修了後、シカゴの高齢者施設に就職し、施設で暮らす高齢者のためのアートセラピープログラムの立ち上げに携わりました。

帰国後は、岡山市の施設で不登校児童生徒やその保護者への教育相談に携わるとともに、介護福祉士養成専門学校の非常勤講師として回想法を教えてきました。

SAICの大学院で学んだアートセラピーは、シカゴという土地柄もあってか、カール・ロジャースが提唱した来談者中心療法の考え方から強い影響を受けていました。そこでは、クライエント自身を自分の人生のエキスパートと捉え、作品に表れたシンボルやメタファー(隠喩)の意味を、クライエント自身が発見し、理解していくことを大切にします。

長坂剛夫の絵_パレットを抱えて波に立ちすくむ人
『パレットを抱えて波に立ちすくむ人』|長坂剛夫|2026年|水彩 on 水彩用紙|25 x 17.2 cm

そのためアートセラピストは、答えを教える専門家というよりも、アーティストやクリエイターとしての経験や視点を生かしながら、クライエント自身の気づきを支える「旅の同伴者」です。

そんな心の温まる「ハートフル」なアートセラピーを大切にしながら実践しています。

主な著作・業績

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